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臓器別専門医の座談会


出席者
A: 昭和62年神戸大学卒(司会)
B: 昭和55年名古屋大学卒
C: 平成1年岐阜大学卒
D: 昭和56年東京女子医大卒
E: 昭和55年岐阜大学卒

A:総合内科医というのを最近耳にしますが、言われていることがまちまちのように 思えて今ひとつ釈然としないのです。そこで今日は、大学は違っても同じ医師としての先輩にお集まり願って、総合内科医というのは何者かを分かりやすくご説明願いたいのです。

B:この説明はなかなか骨折りです。というのは、新しいものだからです。総合内科医の前に、こんにちの臓器別専門医を説明することからはじめないと、うまく伝えることができません。

A:お願いします。

B:病院に患者が受診した時を想像してください。それはもうさまざまな症状や経緯で患者はやってきます。目が見にくいとか、骨折したとか、などはこんにちの専門科、眼科や整形外科、を受診すれば、その出来事に限れば決着します。このように誰にも分かりやすい出来事はさしおいて、判然とはしない事態を考えてください。どこを受診するのでしょうか?

C:腹痛だと消化器科、胸が苦しいと循環器科ですね。頭痛だと神経内科かな?

B:それで循環器科へ行ったとあとは?

C:まあ一般に、胸の打聴診くらいは受けて、心電図・エコー・X線写真がつづいて、心臓カテーテル検査になりそうですね。そのあたりがワンセットのところが多いでしょうか。自分も関東の循環器専門病院にいて盛んに心カテをしていました。

A:それで腹部の診察や神経系診察は?

C:まず省かれかもしれません。したとしても、よくは分かりません。

A:胸の診察で肺の打聴診は万全なのですか? 心臓の聴診も? 胸X線の所見は間 違いはないのですね? 肺野の所見も詳細ですか?

C:残念ながらそうとも言い切れません。すぐエコーをしますから、聴診器だけで診断しうるものでもできないかもしれません。自分の周りはそうでした。他は知りませんが。

B:つまりは、持っている武器つまり診断技術で一渡りの検査をします。心カテなどは巧みです。そこで何か異常があったとします。するとそれが診断です。笑い話のようですが、胸が痛苦しかったのは胆石の発作なのに、冠動脈の狭窄があると狭心症が診断になってしまうこともあるくらいです。異常がないと、心臓には異常がないと診断されて、診断作業はそこでおしまいです。患者の診断はなされないまま循環器科診療は終わりになります。他に行ってくださいと。これが現状ではないでしょうか?

D:動悸の若い女子にエコーがされて心臓は異常がないと。貧血で動悸がしているのに、心臓疾患の可能性もあるという理由で精密検査が無意味になされるのです。心疾患を否定できないと。可能性なら何でも可能だけれど、この局面では考えることもないのですが。そして患者はあらためて他に行くことになります。行った先でも同じようなことが起こります。

A:そういったことは病院内でもあるのですか? どうしてそうなったのでしょう? 

B:専門技術はこんにちとても発展して優れたものになりました。そうではあっても、いま話したような欠陥は克服されません。技術が先にあって患者を技術のベルトコンヴェアに乗せているからです。こんにち技術は発展したが、患者の診療は洗練されているとは言えません。

A:なんだかコンピューター将棋と似た話です。先日TVで見たことですが、今 のところコンピューターは重要でない手も軒並み羅列的に読むのだそうです。だから 弱い。ところが有段者の人間は無意味な手はたちどころに分かってそんな手は読むことさえしない、大事な手だけを時間を使って考える、というのです。

B:耳鼻科・眼科といった臓器専門科とは別に、かって内科という総合部門があったのです。その内科領域から次々と臓器別専門科が分かれ出てきました。呼吸器・消化器・腎臓・循環器などです。 耳鼻科や眼科ですぐ分かるとおり、臓器別専門では、患者についての診断目標は「専門疾患の有無」です。耳鼻科では耳鼻科疾患の有無、眼科では眼科疾患の有無です。「患者の疾患はなにか」ではありません。なければ「ない」で診断が終わるのは、この原理から当然のことでしょう。耳鼻科や眼科が患者の異常を全体的に診断治療しなくても、おかしなことではありません。ところが内科領域から分かれ出た臓器専門もこれと同じ原理です。そこでは専門疾患の有無を断定するのに相当な検査をしてしまうのです。専門技術がはじめから固定されていて、患者がきたからには自動的な診断作業が開始されるからです。もし診断目標が「患者の疾患は何か」だったら、診断作業は患者の事態に応じて選択され、あれもこれもの診断作業をすることはありません。必要な手だけに時間を使って考える有段者と同じです。

A:臓器専門の特質が分かる気がします。その専門科の疾患の有無をしらべて、それがなかったら、これこれに異常はない、と言うのですね。では病気は何か、と問わ れても、分かりませんと答えるわけですね。そもそもそれが目的で調べたわけではないと。すると、最初におよその見当を正しくつけて、病気がありそうなところの専門科を受診すればいいことになりますか?

B:それが一般内科です。いわば振るい分け内科です。ところが一般内科は、振るい分けた後は臓器専門科に委ねてしまいます。

A:それで万事うまくいきますね。詳細に検討して疾患を発見してくれますから。

B:それで万事うまくいくなら、一般内科が広範に疾患の炙り出しをしさえすればよいことになります。ぴったり当たればあとは臓器専門科に任せて問題はありません。ところがそうとは言えないのです。

A:どうしてですか?

B:患者の疾患がたった一つの場合に限れば、それでよいです。たとえば健康診断で発見された一個の臓器特定的な異常、ほかはすべて問題ない場合などです。現実にはそんな場合は病院診療のごく一部にすぎません。たいがい患者はいくつか疾患を持っていますし、だいたい臓器限定的に症状が あるわけではありません。また臓器に異常があってもその性質は実にさまざまです。腹痛は決して消化器疾患とは限りません。狭心症かも大動脈瘤かもしれないし尿路結石かも知れないのです。胸に影があったら、確かに肺に異常はあるでしょうが、肺に固有の疾患というわけではありません。 感染、腫瘍、免疫などの異常症に加え循環障害、変性など性質は多様です。解剖学的に呼吸器疾患と名づけられる類とは限らない。

A:なるほど。臓器別とは性質さまざまな異常を単に解剖学的に分別してしまったことになりますね。とても分けられないものを解剖学的に分けては矛盾ですね。そういえば、代謝専門、アレルギー専門などは臓器別ではありませんね。

B:これまでも小児科、放射線科などは臓器別専門ではなかったのです。

A:肺に感染も代謝も免疫も腫瘍も変性もあるし、腸にも同じくそれらの異常が起こっていますね。 そういった異常症の仕組みを理解して診断治療できないと、呼吸器や消化器の専門ではあり得ないことになりますが。

B:まさにその通りです。

A:すると、何かの専門はすべての専門になってしまいませんか?だったら肺の専門、消化器の専門とは何が専門なのでしょう?

B:そういった共通の大きな土台の上に臓器の解剖学的特異性がありますから、臓器専門はその最後の部分に専門性があったのです。その専門性の違いは診断技術でもっともよく表現されました。

A:内視鏡とか造影検査などがその例ですね。

B:共通の大きな土台は獲得するのに相応の学力とエネルギーが要ります。そうしたところでまだ専門性は眼には見えてきません。ところが最後の部分の解剖学的診断技術をものにすれば、見た目には専門が獲得されたように見えてしまうのです。そこで最初から習得容易な診断技術に走り、またそれだけで終わってしまう結果になるのです。

A:それがこんにち臓器別専門の弱点として露呈されるのですね。

B:健康診断が発展して、臓器別の診断技術が限られた疾患の早期発見にはまことに有用ですから、ますますその方向に突き進んだ結果、弱点が修復不可能なほどに大きなものになってしまったのです。共通の大きな土台は内科学という専門で、臓器特殊性は内科学の内に包含される亜専門サブスペシャリテイとして位置づけられるはずのものが、内科学専門をはずれたにもかかわらず臓器別が内科の中の専門と呼称されてしまったために、王道の内科学という専門が見失われたのです。

A:たまたま患者がはじめはうまく臓器別専門科に行ったとして、その後はどうなるのでしょう?

B:当初から臓器別専門疾患以外の疾患がたとえ混在していなかったとしても、患者はその疾患だけで終わりません。つぎつぎ新たな疾患が起こってきます。それらは非専門疾患です。その診断治療が当該臓器専門科で的確迅速になされがたいのは、内科学の亜専門ではないことからして当然です。王道の内科学を欠いている臓器専門科をいくつ集めても整合できません。

A:こんにちの混乱が原理的にも分かる気がします。一般内科や振るい分け内科は患者を臓器専門科に任せる前段階ですし、臓器専門寄せ集め診療も結局は内科学不在の弱点を克服できないのですね。すると総合内科とはどういう意義を持つものなのでしょうか。

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