文字の大きさ:AAA 

総合内科医(内科学内科医)の座談会


A:それでは総合内科医を説明していただけませんか?

E:さきほどの話にもあるような臓器別専門の弱点を克服しようと、いくつかの試みがなされました。最初に振るい分けです。だが振るい分けても、そのあとには臓器専門の弱点がそのまま引き継がれますから、これは失敗です。次には、臓器専門を一同に会する寄せ集めです。集まったところで、それぞれの専門がばらばらに患者をあつかって、現実の患者における専門疾患の序列を考えられませんから、これも整合性を欠きます。冠動脈狭窄性硬化症+脳梗塞+血小板減少性紫斑病+ウイルス性慢性肝炎+蕁麻疹の患者の、循環器科・神経内科・血液科・消化器科・皮膚科を集めた治療を想像すれば分かります。そのうえ非専門疾患の発生には無力です。この患者があらたに発熱し、関節が腫れ、肺にかげが現れ、足がむくみ、低ナトリウム血症になって、錯乱したら、いったい誰が責任を持って診断し治療するのでしょう?できるのでしょう?

A:検査と薬が山ほど増えるばかりでしょうね。整形外科や呼吸器科や精神科をも呼んできても整然とした的確な診断治療はなされないと言ってもよいでしょうか。

E:臓器専門の細々した特殊な知識や技術をただ集めただけでは整然とした的確な診療は得られません。このことを認めないわけにはいきません。

A:そうですね。

E:王道の内科学が必要なのです。それが総合内科医です。

A:というと総合内科医は臓器専門の指揮官ですか?

E:それも機能のひとつです。だが、臓器専門が患者について得た事項をそのままにアレンジするだけでは、この機能は営めません。臓器専門は自分の持つ技術の位置から患者を観察します。そういう位置から観察した部分の寄せ集めと、患者のすべてを統合した理解との間にはずれがあります。いくら部分をたくさん集めても全体そのものとはなりません。

A:すると総合内科医はなにをするものですか?

E:総合内科医は振るい分け医ではないことがお分かりいただけたかと思います。振るい分けして臓器専門に患者を受け渡すのではありません。総合内科医自身が患者を引き受けます。総合内科は最終科です。

A:でもひとりで内視鏡も心カテも臓器移植もできないでしょう?

E:できません。全部を一人でできなくとも良いのです。だいたいできるはずもありません。臓器専門技術を全部集めたものが総合内科医だと考えると、できないと総合内科医ではないと考えてしまうのです。

A:どういうことでしょうか?

B:内科学という範疇は技術という範疇とは違います。レベルが違います。技術を集めたものが内科学だと誤認すると、ひとりでできないと内科学ではないと思ってしまいます。臓器専門寄せ集めが内科学ではないのです。

A:なるほど分かりました。どうしても現存している有様に引きずられて考えてし まいます。あらためてお尋ねますが、総合内科医は具体的に何をしますか?

E:その前に、あれもこれもの専門知識を保有していることとも範疇が違います。よく例えにあげるのですが、照明やドアの歴史と種類に詳しくて取り付けの技能に長けていても、けっして立派な建築ができるわけではありません。建築家の仕事は照明、水道、電気などの専門職とは違うジャンルです。また、都市計画は道路、河川、上下水などの専門分野とは範疇を違えていて、都市計画という範疇がなければ、専門仕事士がいても都市が建設できないのと同じです。総合内科医の仕事はいわば、一人の患者の建築家や都市計画者です。

A:分かったような気がしますが、まだ具体的にイメージできません。

B:その例えはうまい例えですね。専門技術や知識は保有していればいるほど良いには違いありません。字を覚えていれば、いちいち辞典を引かなくても書き物をするのに便利ですが、字を覚えていることと優れた書き物を創ることとは別ですね。その専門技術の意義と限界を知っていて適切に使えなければ意味がありませんね。

A:総合内科医の仕事の方法を示してもらえると、具体的になるのですが。

E:総合内科医自身が責任を持って患者を問診、診察、観察、検査、治療をします。もっとも適切な検査手段を選びます。手段は臓器専門医によって洗練発達されていますが、手段の能力と限界をわきまえて、患者のそのときの状態と検査目標を正しく設定したうえ、必要があれば臓器専門医の協力を求めて総合内科医の責任のもとに検査します。治療についても同じです。場合によっては、ある時期臓器専門医に患者を委ねることもありますが、委ねた責任は総合内科医にあります。総合内科医自身が特殊な専門検査技術、治療手段を持っていれば、それについては自分一人で行います。

A:患者はいくつかの疾患を持ってますが、その場合すべて総合内科医の責任下に あるのですか?

E:そうです。主治医というのはそういうものです。

A:それは大変なことですね。

E:王道の内科学の価値はそこにあります。

B:百科事典式の知識より、患者の医学的構造を見知り組み立てる、いわば学力がものをいう仕事です。

A:患者のすべてを見渡す力が要りますね。

E:ひらたく言うと患者の主治医になることです。主治医になることを避けて、専門疾患に注目するだけでは内科学とはいえません。

A:そういえば、その意味の主治医不在のことがずいぶん多いような気がします。

E:主治医といっても、患者が自分のところに所属していて差配を任されているから、主治医だというわけではありません。主治医として医学的に適切的確に判断行為できなくては、主治医の形をとっていても医学的内実は主治医ではない。

A:すると、これはもう、総合内科医というのは大きな専門ですね。

E:ええ、内科学は専門です。もともと専門でした。内科学の亜専門として臓器別があったのですが、内科学をはずれてしまったために、内科学が専門であることも忘れられてしまったのです。内科学は臓器別専門を包含する、つまり理解できる、大きい専門です。

A:形だけでなく内実が主治医にふさわしい、つまり総合内科医にふさわしい、専門技術の表現はあるのでしょうか?

E:総合内科医である最初の要請は厳密なプロブレムリストの作成です。それも総合プロブレム方式の定義によるプロブレムリストです。プロブレムやプロブレムリストの定義が曖昧だとプロブレムリストも内実は形骸化して、総合内科医としての仕事もずさん曖昧になります。

B:プロブレムリストの作成につきると思います。

A:プロブレムリストはさほどに現実に医学的に重要なことですか?

E:もちろん。実際にプロブレムリストの作成に取りかかると、知識も技能も技術も総動員しないと完成しないことが分かります。書物の中の百科事典知識や専門技術の足し算では作成できません。それだけではない、内科学の専門能力が必要になります。

A:プロブレムリスト作成のための、何か良い指針はあるのでしょうか?

E:サブタイトルが総合プロブレム方式のすすめという書物があります。

A:内科学という専門ジャンルが不可欠なことは分かったような気がします。先生方はみな、それぞれに総合内科医として仕事をされていますが、最後に一言、ご自分の経験をふまえておねがいします。

C:自分は循環器専門病院にしばらくいました。心カテも盛んに行っていましたが、結局それは一技術ですから、心カテだけに固執しては患者を寸断してしまいます。折角ここまで発展した心カテの価値すら損ないかねません。技術にも適材適所がいえます。総合内科医としてさまざまなジャンルの患者を見ていて、単調に心カテだけしていればいいという患者はあまりいません。心カテは自分でおこなっていますが。

D:自分は医師としてはじめから総合プロブレム方式で出発しました。いくつかの技術は訓練しました。一般的には人工透析や超音波検査、特殊なものでは内視鏡下食道静脈瘤焼却術や白血病診断化学療法などです。技能の巧みな臓器専門医に委ねたほうが良い場合にはゆだねます。技能より判断が問題である場合は、自分で行ったりその場にいて臓器専門医とうちあわせています。

E:白血病の治療などは、既存の疾患のほかに発熱、肺のかげ、不整脈、浮腫、腹痛、下痢、皮疹、消化管出血、心不全、抑鬱、髄膜炎などなど、ありとあらゆる出来事がおこります。なにせ半毒殺ですから。プロブレムリストが正確で迅速にかつ整然と適切な診断治療をしないわけにゆきません。自分の病棟は困難事例、複合事例、マルチプロブレム事例で多忙です。亜専門のジャンルを総花的に網羅していなくてもかまいません。内科学の勉強方法を身につければ文献を利用できます。

B:自分も心カテなどはしていました。いまは手を引いています。心カテは巧みでも心不全のコントロールはずさんといった事にならないためには、内科学を身につけねばなりません。

A:総合内科医のイメージが少しは分かったようです。考えてみれば、これは当たり 前のことですね。当たり前でなくなっていることが、こんにちの不幸な課題でしょう か。私自身も、卒業したてのころは右も左も分からぬまま過ごしてきたのですが、何 年かたつと現状に釈然としない気持ちが芽生えてきました。こんなはずではなかった というような。自分のもやもやが整理できた気がします。

<< 臓器別専門医の座談会 | 研修医の勉強 - 覚えることが多すぎる! >>